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先回の話はこちら:http://kokkai-aa-yaruo.seesaa.net/article/372246215.html
〜中華人民共和国黎明期〜
(`・ω・´) 近代から現代に至る中国経済の流れは、2名の人物によって作られました。
( ̄∀ ̄) 一人が毛沢東。もう一人がケ小平。
(`・ω・´) ケ小平は毛沢東失脚後の後継者で、「改革開放」政策を推進して中国の共産主義に資本主義を組み込みました。
「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」
(`・ω・´) これはケ小平の残した有名な言葉ですが、今の中国の状態を的確に表しています。つまり、「環境を壊そうが汚職をしようが、金儲けをした者が勝ち」と。
( ゚д゚ ) ひでーなあ
(`・ω・´) そこらへんをこと細かに解説するのは後日として、今回は毛沢東の頃の解説を少し。
第二次世界大戦前後の混乱の中で、主席として共産党を率いていた毛沢東は1949年に「中華人民共和国」の建国を宣言します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
(`・ω・´) 発足直後の1950年、「土地改革法」が成立。国土全国で土地の再分配が起こります。
( ̄∀ ̄) 富裕層の土地を奪って貧農が大勝利するぜヒャッハー。
(´・ω・`) 実際、反体制運動が起きたみたいですね。
中華人民共和国の発足直後は、旧国民党、富裕層などによる反共・反政府運動が続発した。
このため、「反革命活動の鎮圧に関する指示」が出され、大衆を巻き込んだ形で反政府勢力の殲滅を図った。
1953年までに71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束し、240万人の武装勢力を消滅させたことが、中国の解放軍出版社より出版された国情手冊に記されている。一方で、汚職反対・浪費反対・官僚主義反対を掲げる「三反運動」が展開され、政府側の腐敗を取り除こうとした。
そして、こうした腐敗の原因が資本家に帰され、「五反運動」で資本家階級への締め付けが強まった
(三反五反運動)。
(つ∀ ̄) 極端から極端へ行くんだよ、あの国。今じゃ貧民がいじめられてるけど。
(`・ω・´) ともあれ、初期の中華人民共和国は富裕層から財産を奪い、弾圧しました。
さらに「百花斉放百家争鳴」という政治運動を行いました。
( ̄∀ ̄) 釣り⇒キャッチ&デストロイ運動ですな。
(`・ω・´) 毛沢東が「中国共産党に対する批判を歓迎する」という主旨の内容で布告を出し、知識人に批判するよう何度も呼びかけたわけですね。
(つ∀ ̄) で、毛沢東の指導力や党の体制まで公に批判されるようになって――批判に怒った毛沢東が粛清開始。
(`・ω・´) ちなみにその際に使われたレッテルが「右派」という言葉で、知識人の粛清運動を「反右派闘争」といいます。
右派とは、社会主義政権の破壊を画策した者たち、という意味ですね。
( ̄∀ ̄) この運動で知識人……つまり学のある人達が排斥されました。
(´・ω・`) そしてあの悪名高い「大躍進政策」が実行されます。
つづきます。